論攷 斐太ノ工 五九
藤原京(ふじわらきょう)は、大阪府和泉から大和にいたる古代竹之内街道の終点つきあたりにある。見方を変えれば藤原京正面の道は、大阪湾に向けて一直線に伸びており、瀬戸内、玄界灘を経て、朝鮮半島、中国大陸に向いていたということになるだろう。藤原京は近年の発掘調査までは、その規模が不明であった。【藤原京】という名称も当時のものではない。
その規模は日本で最初、且つ最大の都城であった。藤原京の西部から南部にかけてかなり広大な面積を占めて【日氏】の居住した、現在の【飛騨町】がある。上古には、いわゆる【斐太ノ工の居住区】であった。
よく引用される「飛騨は高冷地で米が実らないので、当時の税制である、租税と庸税は免除され、代わりに丁税として都の造営に当たる人員が徴用された。これが斐太ノ工のはじまりである」という説が流布している。しかし、都の造営は飛騨から集められた。しかしこの人員程度ではとても員数を満たしうるものではなく、しかも単年度で終わるような事業ではなかったから、徴用された【斐太の民】も、飛騨のみならず、日本各地に及んでおり、その構成員の主要な人たちが【日氏】だったと推定される。日置氏もまた【日氏】の氏族として、【藤原京】の、線引き、地割り、造営に関わっている。飛騨から徴用された斐太の民も短期間で帰郷することはなく長年にわたったって居住したはずである。この都城の造営は遷都の需要もあり、七世紀から十一世紀の平安遷都まで、波状的に続いたと見られる。大和地方には、法隆寺をはじめとする古寺院が多い。その造営には朝鮮半島の百済から工人が来朝していたといわれる。もちろん、中国から来朝した工人もあったであろう。だがその中枢にあったのは【日氏】すなわち【斐太の工】であり、それまでに完成していた【宮大工】らの建築工法は、従来の神社社殿建築技法に加え、寺院の建築技法を加味した【社寺建築様式】を次第に完成させていった時代でもあった。
藤原京は、持統天皇四年(六九〇)に着工され、持統天皇八年に完成して、同年に【飛鳥浄御原宮】から遷居したとされる。その後は、持統天皇、文武天皇、元明天皇の三天皇が居住し、十六年間の都であったが
和銅三年(七一〇)に平城京に遷都された。藤原旧京はその翌年の和銅四年(七一一)、火災に遇い焼け落ちた。この、藤原京が焼け落ちた翌年の和銅五年に古事記が完成している。
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弘前&平泉の旅5 中尊寺
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◇藤の平等院
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◇藤原宮跡で運河跡
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... ShopへGO!━━━ // 藤原宮跡で宮殿造営の運河跡発見 資材運んだ牛馬の骨も // 産経新聞 国内初の本格的都城で、持統天皇が開いた藤原京(694-710年)の宮殿南門跡南側で、宮殿造営のために建築資材を運んだ運河跡2本が見つかり ...
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